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不登校ブログその873.目に見える形で報われるものと、目に見えない形で報われるもの―子育ては後者のことが多いようです―

 人間は、生きていく中で、いろいろな苦労に直面し、努力していきます。そうした苦労や努力は、何らかの形で報われると思うのです。


 もう、今ではあまり言われることはありませんが、「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉があります。そういう苦労は無駄にはならず、何らかの形で報われることを、昔の人は知っていたのでしょう。


 苦労や努力への報いとは何でしょうか。これは、本当に人によって、その人生によってさまざまです。努力して報われるものは、学力が高くなる、体が強くなる、仕事ができるようになる等、さまざまです。苦労して報われるものは、人間の器が大きくなる、忍耐力がつく等、これもやはりさまざまです。


 それら報われるものは、大きく二つに分けられます。一つは、目に見える形のものです。学力が高まる、仕事ができるようになる、そしてそれらに付随してついてくるもの(成績が上がる、給料が上がる)は、目に見える形のものです。もう一つは、目に見えない形のものです。人間の器が大きくなる、忍耐力がつくなどは、目に見えない形のものです。


 子育てはどうでしょうか。努力して子育てして報われるものとは何でしょうか。私は、目に見える形のものもありますが、目に見えない形のものも多いと思います。


 子育てによって報われるものの中で、目に見えるものはあります。子供が大きく育った、頑張っていい学校に入った、子供が社会で頑張って活躍しているなどはそうでしょう。


 一方、目に見えない形のものとして、子供が美しい心を持った、お母様の愛がより深まった、子供を理解しようという心が強くなった、忍耐強くなった、多様な価値観で子育てを考えられるようになった、というものがあります。これらが直接、社会的評価されることはないですし、他人の目から見ても見えませんので、他人から指摘されることもないでしょう。


 しかし、それら目に見えない形のものもまた、非常に大切だと思うのです。目に見えない形のものとは、心に関係するものです。美しい心とか、愛が深まるとかは心に関係するものです。そして、心が永遠に残るものですので、そうした心に関係するものもまた、永遠に残るものだと思うのです。






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