不登校カウンセリングブログその1129.学校に行く意味、勉強する目的が分からなくなっている不登校の子に必要な情操教育。
- 不登校・引きこもりカウンセリング「エンゼルアカデミー」
- 2022年5月10日
- 読了時間: 3分
更新日:2022年10月22日

今、「生きる意欲がわかない」「勉強する気になれない」という子が多くなっているように感じます。まだ若い子供たちが、そういうふうに、意欲を失ってしまっていることは、大人として聞いていて辛い気持ちになります。不登校の子供の中にも、そうしたことが理由で不登校になっている子供もいます。
そのように、さまざまなことに対する意欲を失っている子供が出てきている一つに、「情操教育」の機会が失われていることがあるのではと、私は推測しています。現代の教育は知識を伝えることに重点を置いた「知識教育」ですが、これだけが教育ではありません。考える力や、善悪の価値基準などを伝える「情操教育」も、教育にはあります。その「情操教育」を、子供たちにほとんど行っていないのが、現代の教育です。
昔の寺子屋などでは、論語などの古典を教えていましたが、あのような古典は、「人はいかに生きるべきか」ということを教えていました。そうした古典で学んだことを土台にして、当時の子供たち・若者たちはどう生きるべきかを考え、それぞれの生き方を模索していったのでしょう。
不登校になっている子供たちの中には、「何のために生きるのか」「何のために社会に出るのか」という疑問を抱いている子がいます。たびたび書いてきましたが、不登校の子の中には、物事を深く考える傾向のある子がいますので、そのような疑問を抱くことがあるのでしょう。
しかし、現代では知識教育に重点が置かれ、情操教育はほとんどなされていません。そのため、その疑問に答えを出すのが難しいのです。そのため、疑問を抱えたまま学校に行き続け、勉強し続けることになります。その状況に空しさを感じるようになると、「もうこれ以上、学校に行きたくない」と考えるようになってしまって、不登校になることがあるのです。
塾講師をしていた時に、勉強はできるものの、なかなかやる気の出ない子がいました。その子も物事を深く考えるタイプで、勉強はできるものの、なぜ勉強するのか、その目的とは何かが分からないため、勉強すること、学校に行くことが苦痛で仕方ない、と話していました。
こういう形で疑問を感じ、不登校になる子供たちにこそ、情操教育が必要でしょう。そうした子供たちの疑問に100%、答えるものではないかもしれませんが、少なくとも、考える材料はそこから得られるでしょう。
幕末に、日本各地に私塾がありました。長州、今の山口県には、吉田松陰が開いた「松下村塾」がありました。松下村塾だった建物が残っていますが、それは本当に小さい一軒家です。今は神社の敷地内にありますが、そこで学んだ人間の中から、明治以降、総理大臣級の人材をたくさん輩出しました。また、大阪には緒方洪庵が開いた「適塾」があり、そこでは文字通り寝る間も惜しんで、若者たちが勉学に励んでいて、やはりそこから近代日本の基礎を創っていく人材を輩出しました。
そうした塾では、兵法や蘭学などの知識教育もなされていましたが、自分はこれからどう生きるか、西欧列強に後れを取り、そうした列強が次々と植民地を得ていって危機にある日本のために、自分は何をすべきか、そうした「情操教育」も行っていました。それゆえに、そうした若者たちは生きること、学ぶことに情熱を抱き、それを体現した人生を送っていったのでしょう。
そこまでの人生でなくてもいいのでしょう。ただ、生きる意欲がわかない、勉強する気になれないという子供には、生きる意欲をもち、「自分はこれから、自分の人生を生ききるんだ!」という情熱をもって、生きていってもらいたいと願います。そうした子供たちに、やはり情操教育が必要だと思うのです。現代の教育ではほとんどなされていない情操教育ですが、その情操教育に「いかに生きるべきか」という手本があるのですから、手本となりうる情操教育を子供たちに与える場が必要です。
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