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不登校カウンセリングブログその962.わが子が不登校になってご自身を責めているお母様へ。「子供を不登校にしたい」と願って、育ててこられたわけではないので、ご自身を責める必要はまったくありません。

更新日:2022年12月6日

 わが子が不登校になり、ご自身を責めておられるお母様は多いです。「もっとああやれば、不登校にならなかったのかも」「こういうことをしたから、不登校になったのかも」と、ご自身を責めてしまうのです。わが子への愛情が深いゆえに、そのようにご自身を責めてしまうのは仕方がないことかもしれません。


 しかし、「わが子を不登校にしよう」と思って、育ててこられたのでしょうか。そのような方は、一人もいらっしゃらないと思います。不登校になったのは、いくつかのことが関係しているからであって、お母様が「不登校にしよう」という動機でそうなったわけではありません。


 物事には、「動機」と「結果」があります。何かを「やろう」という動機があり、その動機のもとに行動して、それによって結果が生じます。


 例えば、裕福になるという結果となった場合、そのもとには「裕福になろう」という動機があったはずです。その動機があり、行動して、実際に裕福になるという結果となります。


 そして、「動機」と「結果」の関係においては、「動機がよくても結果が出ないこと」がある場合があります。例えば、「誰かを幸福にしたい」という純粋な動機であっても、それがかなわないことがある、というような場合です。わが子が不登校になったという状況は、まさにこの場合です。


 心で何かを願っていても、途中の結果としては、それが実現されないことがあります。純粋な動機であったのに、途中でた結果に焦点を当ててみると、望んだ結果が出なかった、あるいは逆の結果となった、ということはあります。このような状態においては非常に辛い気持ちになり、それが不登校のお母様が感じておられる辛さです。


 しかし、それは途中の結果に過ぎません。最終的な結果ではないのです。不登校の事例で言いますと、そのままずっと、子供が不登校の状態であり続けるわけではないのです。


 動機が良いものであれば、途中の結果が厳しいものであったとしても、最終的にはきちんとその動機に応じた結果となります。わが子への純粋な愛情で接していたら、その愛情に応える形で育っていき、結果はでてきます。動機が良くて、途中の結果がどのようなものであったとしても、努力することをやめなければ、動機に応じた結果は出てきます。


 それゆえに、お母様はご自身を責める必要はありません。元からの動機である、「わが子に幸福になってほしい」という思いを再確認し、再び、幸福にしようと努力していけば、長い目で見て、その動機に応じた結果が出てきます。




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