不登校ブログその798.勉強しても成績が上がらなかったため、不登校になった子供に伝えたいこと。
- 不登校・引きこもりカウンセリング「エンゼルアカデミー」
- 2021年6月12日
- 読了時間: 3分
前回のブログに引き続き、勉強がテーマです。今回は、勉強しても成績が上がらなかったため、不登校になった子供に伝えたいことです。
一生懸命勉強しても、成績が上がらず、あるいは志望校に合格しなかったという状況は、まだ挫折や失敗の経験が少ない子供たちにとっては、心を深く傷つけるものでしょう。そういう状況でショックを受け、不登校になるのは分からないことではありません。
ただ、少し結果主義の傾向が強いという気もします。結果を出したいと努力することは、大切なことです。そして、結果を出そうとして頑張る姿は応援したいです。結果が出てもらいたいとも思いますが、結果が出ないと何もかもがダメだ、ということではないのです。
努力しても結果が出なかった、だから無駄だった、というわけではありません。その努力したことは必ず力になっています。一生懸命勉強したなら、それは必ず力になっています。その志望校に合格するレベルではなかったものの、一定の学力はついているでしょう。
あきらめず、くさらず、また何かに挑戦したら、そのついた学力によって次は、新しい目標を達成できるかもしれません。間違いなく、可能性は高くなっているはずです。
勉強しても分からなくて、悔しい思いをしたという子に対しては、分からなかったとしても、考える力は確実に高まっていることを、教えてあげてください。一生懸命勉強しても分からなかったら、「自分はダメだ」という自己否定感を持ちやすくなってしまいます。コンプレックスになりやすいことではありますが、たとえ分からなかったとしても、分かろうと何度も考えるプロセスを繰り返しています。そのプロセスを繰り返すことで、考える力は高まっているはずです。
前回のブログで書きましたが、勉強する意味の一つは、考える力を高めることです。それによって理解し、正解を導き出すことができれば越したことはありませんが、そういう状況に達成できなかったとしても、勉強の意味はあるのです。
もし、科目によって勉強しても分からなかったということがあるのでしたら、その科目には適性がなく、分かる科目の方に適性があるということを、示してくれているのかもしれません。例えば理数系の科目が分からないということでしたら、文系の方に適性があり、その方向に使命があるのかもしれないということです。まだ学生時代にそのことが分かったということは、進むべき道が分かってきたということになります。
もし、読む、聞く、書く、計算などの特定の分野がものすごく苦手、という場合は、学習障害(LD)を疑った方がいいかもしれません。これは知能が低いとか遅れているとか、そういうことではなく、本人も努力しているのに、なぜか特定の分野のことができない状態です。
学習障害については研究が進んできていて、その子に合った教え方や学習の仕方を工夫すれば、ある程度カバーできることですので、学習障害の疑いがある場合は、検査をすることをお勧めします。
いずれの場合にせよ、勉強しても分からないという状況は、子供にとって大きなコンプレックスになりえますので、親御さんをはじめ、周囲にいる人がサポートし、コンプレックスが軽くなるような言葉を伝えてあげてください。
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