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不登校ブログその910.感受性の高い不登校の子供たち。感受性の高さの良い面と、「疲れる面」。



 これもたびたび書いてきましたが、感受性が高いことは、決して悪いことではありません。他人の気持ちが分かる、他人のことを自分のことのように受け止めるということは、他人への思いやりや優しさを持つことになります。他人の気持ちが分かれば、人間関係を円滑にできますし、「他人に対して無神経」ということになって嫌がられるということもないでしょう。


 他人の気持ちが分かる人は、多くの人の心をつかめる人でもあります。人が何を望んでいるか、何を求めているかが分かれば、社会の中ではいろいろなチャンスをつかめる可能性が高くなります。


 高い感受性によって、それらだけを得ることができたらいいのですが、高い感受性によって不登校になるケースがあるということは、マイナスの面もあるということです。それは、高い感受性によって疲れてしまう、ということです。


 感受性が高くなるのは、そもそも自己の意識が強くなるからです。自己の意識が強くなるということは、「自分は」「自分が」という意識が強くなるということです。これは我がままとか自己中心的ということではありません。自分に、周囲の事柄を関連づけるということです。


 大人になり、自己あるいは自我の確立がある程度終わっていたら、自分は自分、他人は他人という意識が明確になって、高い感受性をうまくコントロールできるようになります。しかし、まだ思春期の頃は、うまくコントロールできないので、自分の周囲にある事柄のすべてを、自分に関連付けてしまうことになります。


 そうなると、非常に疲れてしまいます。友達と目があったら、「あの子は自分のことを考えている、意識している」と思ってしまいます。友達同士が仲が悪かったら、「仲の悪いのは自分のせいだ」と考えてしまいます。


 感受性の高い子が、学校で何かあったわけではないのに、やたらと疲れてしまうのは、そのように、高い感受性ゆえに、周囲の物事を自分為関連付けてしまうからです。




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