不登校ブログその939.不登校の子供をいい方向に導くためには、子供のことが「見えている」必要があります。
- 不登校・引きこもりカウンセリング「エンゼルアカデミー」
- 2021年11月2日
- 読了時間: 3分
不登校の状況にいる子供に対して、「いい方向に導きたい」と願う場合、絶対に必要なことがあります。それは、子供のことが「見えている」ことです。
いい方向に導くには、言葉をかける必要がありますが、どのような言葉なら心の中に入っていくか、分かっていなければなりません。そして、その場合、子供の心の状態が見えている必要があります。
相手を導きたいと願っている場合、得てして、こちらの都合ばかり考えてしまって、相手のことを見ることなく、こちらの考えを押し付けてしまいがちです。相手の心の状態を無視して、その心に入っていきそうのない考えを押し付けても、その考えを受け入れることはありません。子供にとって、「よかれ」と思ってやったとしても、子供のことを見ていないなら、見えていないなら、それは押し付けになってしまいます。
この押し付けは、私もやってしまった経験はあります。自分の伝えたいことを伝えよう、伝えようと焦ってしまって、相手が見えていなかったのです。
また、子供にとってどういう方向が「いい方向」なのか、きちんと理解しておく必要がありますが、そのためにはやはり、子供についてのさまざまなことを見えていなければなりません。子供の得意なこと、やりたいこと、適性、能力などが見えることで、具体的はどういう方向に導けばいいかが分かります。
では、子供のことを「見えている」ようになるには、どうすればいいのでしょうか。人を見ることは難しいです。人間にとっての、他人をきちんと見るということは、永遠のテーマです。見えていないからこそ、相手のことが分からず、衝突したり、さまざまな苦しみが生まれたりします。
まず、そのように決意して、子供に対して意識を向けることです。何を思っているのだろうか、何を悩んでいるのだろうか、何をしたいのだろうか、何ができるのだろうか、どういう言葉が適切なのだろうかと、考え続けることです。「相手を見よう」と思ったら、これは自然にやっていくでしょう。
あともう一つ、それは自分を見つめることです。子供を見ることが必要なのに、どうして自分を見つめることが必要なのか、と疑問に思われるでしょう。ただ、自分が見えていて初めて、他人が見えるのです。自分が見えない人は、他人も見えません。
自分は今、どういう気持ちなのだろうか、なぜ、このような気持ちになっているのだろうか、子供に対して何を願っているのか、それは正しい願いなのか、等々、見つめる内容はたくさんあります。自分をより正確に見えるようになったら、子供のこともそのように見えるようになります。
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