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現代の教育には、欠けているものがあります。

 現代の教育は、「知識教育」が重視されすぎていて、欠けているものが多いと、私は思っています。その弊害が、不登校やいじめの増加に出ていると思うのです。


欠けているものその1 生きる目的、勉強する目的

 人は何のために生きているのでしょうか。勉強する目的とは何でしょうか。これは、真っ先に子供たちに教えるべきことなのではないでしょうか。人は、どこから来てどこに行くのか。何のために生きているのか。その問いへの答えを見つけないまま、生きることはできます。周りの人と同じように、学校に行き、会社に行き、家庭を営み、生きていくことはできます。ただ、そうやって生きる目的とは何かを知らないまま、人生を過ごしていくのは、ある意味、空しいことだと思うのです。

 勉強する目的もそうです。今のところ、いい学校に入って、いい会社に入って、というのが勉強する目的のように見えますし、それを否定はしませんが、勉強することの奥にある、もっと本質的な目的を、子供たちに教えるべきでしょう。


欠けているものその2 正義観

 増加しているいじめですが、教育できちんと正義観を子供たちに教えていたら、減らすことはできるはずです。時には学校の先生も、いじめが起きた場合、隠ぺいすることがありますが、これは正義観が失われていることを示す、最たるものです。


欠けているものその3 志

 志も欠けています。どう生きたいのか、大人になって何をしたいのか。本来は、人生のできるだけ早い時期に、この志について考えさせる機会を取るべきです。人生の早い段階で、志をはっきりつかめる人もいますが、いろいろと経験したうえで、志が明確になる人もいます。いずれにせよ、志について考えさせることで、学校に行く意味や、勉強の目的がはっきりします。


欠けているものその4 他人や社会との関わり

 知識を磨き上げた秀才は、現代教育の代表作品と呼べるでしょう。現代の秀才には、利己主義の傾向があります。自分のためにのみ生きて、他人の役に立とう、社会に貢献しようという思いが薄いのです。教育によって鍛えられた人たちが、自分のためにしか蓄えた力を使わないとしたら、教育は大きな失敗をしているということになります。




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