不登校カウンセリングブログその1245.「受動的」から「積極的」へ。「志」を探すことによる、不登校の子供の人生の転換点。
- 不登校・引きこもりカウンセリング「エンゼルアカデミー」
- 2022年9月25日
- 読了時間: 3分
更新日:2022年10月17日

「受動的」と「積極的」。あえて単純化し、乱暴に表現すると、不登校の子供の半分以上が、「受動的」ではないかと思うのです。すべてではありませんが、半分以上が「受動的」だと思うのです。
「受動的」とはどういうことでしょうか。不登校の状況になる場合、周りから何か影響を受けている、ということです。いじめを受けたということも、「受ける側」ですのでそういう意味では「受動的」です。いじめではないにしても、友達との関係で何らかの影響を「受けて」不登校になった場合も、「受動的」です。もちろん、勉強やスポーツ、習い事を積極的にやっていって、それで疲れてしまって不登校になる、というような場合は、自分から何かを進んで行っているので「積極的」ではありますが、その「積極的」も、周りからの期待を「受けて」、そんなに頑張ってきた、ということでしたら、「受動的」です。
私は、「受動的」が悪いと考えているのではありません。ただ、人生を「積極的」に生きようとすることで、それが不登校の状況から出ていくための、大きな原動力になるのではないか、と考えているのです。つまり、それまでどちらかというと「受動的」であった姿勢を、「積極的」な姿勢に変えるということです。ここでの「積極的」とは、「自分はこう生きたい、こういうことをしたい」という志を持つか、志を探そうとすることです。
なぜ、志を持つことが、あるいは探そうとすることが、「積極的」なのでしょうか。人は「こう生きたい」「こういうことをしたい」と願うことで、自らその願う方向に進もうとすることになりますので、それが自ら「積極的」に生きようとすることになると思うのです。
こうした志を持つこと、探そうとすることで、少々の苦難や挫折、失敗が起こっても、「自分には、このような『やりたいこと』があるんだ。だから、そんなもので負けるわけにはいかない」と考え、乗り越えていけます。
スポーツや音楽などの分野では、比較的人生の早い段階で志を持つことになりますが、それ以外では、明確な志は出てこないでしょう。早くて10代後半、普通は20代か、あるいはもっと遅い人もいます。その間、与えられた勉強やスポーツをこなし、進学し、社会に出ていく中で、自分が興味や関心があるものを探し、それらをよく知りつつ、「自分のやりたいことは何か」と考え続けることで、志は見つかります。そのように、志を探そうとする姿勢も、「積極的」な生き方となります。
不登校の状況にあって、いろいろな悩みを抱えている間は、なかなか志を探す気にはなれないはずです。そういう悩みが軽くなり、心が前向きになっていったら、志を探すことの大切さ、そうやって「積極的」に生きることの大切さを、子供に伝えてあげてください。
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