不登校カウンセリングブログその1311.現代では、不登校は「通過儀礼」のようなもの?
- 不登校・引きこもりカウンセリング「エンゼルアカデミー」
- 2022年12月1日
- 読了時間: 2分

不登校はもう、現代では「通過儀礼」のようなものかもしれません。「通過儀礼」とは、人間が成長過程で、次なる段階に入ることを象徴する儀礼のことです。よく知られているのが「成人式」でしょう。今は18歳ですが、ひと昔前は20歳が成人年齢であり、その年齢になると「成人式」に参加することで、成人の仲間入りをすることになります。
不登校の多くが、思春期に入り始めるころに起きます。その年頃は、自分という意識が強くなり始め、他人の関わりの中の自分という存在を意識し始めます。そのような意識が強くなりすぎると、「自分はダメだ」と考えてしまう子が出てくるのです。実際にはそんなことはないのですが、思春期にありがちな自意識の強さが、「自分はダメだ」というふうに考えさせてしまうことがあるのです。
また、多くの同年代の中で生活することに、息が詰まる思いを感じる子も出てきます。他人のことを強く意識してしまって、他人に過剰に合わせることで毎日、気疲れしてしまい、精神的なエネルギーが枯渇していって、不登校になることもあります。
今は、不登校になる子供が20万人あまりで、もはや不登校は、思春期に差し掛かって自意識が強くなり、他人との関わりを強く意識する過程で起きている、通過儀礼のようなものと考えてもいいように思うのです。わが子が不登校になったら、「ああ、うちの子も、自意識が強くなってきたのか。他人との関わりを強く意識するようになったのか」と考えてもいいように思うのです。
そのように考えることで、不登校になったことがまるで、この世の終わりのような出来事のように感じなくて済みます。実際、不登校になって、それで人生が終了ということにはなりません。数カ月か数年か、その状況の中で立ち止まることはありますが、最終的には前に進んでいきます。
当事者である子供は、不登校を大きな事件のように感じるかもしれませんが、そのように感じても、多くの子供が通過する通過儀礼のように感じても、不登校という出来事には変わりありません。通過儀礼のように受け止めた方が、子供自身も気が楽になるのではないでしょうか。
Comments