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不登校カウンセリングブログその1402.不登校のように、失敗や挫折に見える出来事は、生きていて避けがたいことですが、そこから前進することはできます。


 失敗や挫折、と言い切ってもいいのかもしれませんが、失敗や挫折も後々になると自分を高める機会になることが多いので、「失敗や挫折に見える出来事」とここでは表現しています。そうした出来事は、生きていて避けがたいもののようです。どんな人でも、そうした出来事に直面していて、人生につきものだと考えるべきなのでしょう。


 ただ、失敗や挫折に見える出来事にすべての人が直面しても、その後の人生の展開は人それぞれです。その出来事をバネにして前進し、そのような出来事が起こる前よりも高く飛ぶことができる人もいれば、それとは逆に、人生の転落のきっかけとしてしまう人もいます。


 では、そのように後の人生の展開が違ってくるのはどうしてでしょうか。何が両者を分けるのでしょうか。何が違うのでしょうか。この問いは、現在ただ今、不登校の状況にいる子供にとっても重要な問いでしょう。不登校を、挫折や失敗に見える出来事と表現するのは、失礼なことかもしれません。しかし、一般的にはそう考えることが多いので、ここでは不登校を、そのような出来事としてとらえさせていただきます。


 さて、その両者の違いは、置かれた環境の中でできる努力をしたかどうか、です。ただそれだけの違いです。それだけの違いで、不登校などの、挫折や失敗に見える出来事以降の人生は、まったく異なってきます。


 そういうことが起きてから、やる気を奮い立たせて、自分が置かれた環境の中で努力するのは大変だと思います。自分に対して自信を失っていますし、失望感や絶望感も抱いているでしょう。それでも努力して、前に進もうとすることには、抵抗を感じるはずです。


 しかし、努力は自分を裏切りません。努力していけば何らかの実力はついてきます。その実力によって、置かれた環境を変えることができます。一方、何も努力しなければ、その環境がずっと続いてしまいます。


 私自身をふり返ってみても、また周囲にいる人を見ていても、そのことを実感します。自分が挫折や失敗に見える環境に置かれていることを嘆くばかりで、何もしようとしない人は結局、その環境の中に置かれたままでした。気の毒ですが、その環境の中でやれることはいくらでもあるのに、やろうとしなかったその人の責任です。懸命に努力していった人は、最終的にはその環境から抜け出すことができました。





 

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