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不登校カウンセリングブログその951.「人生は苦」という仏教の視点から、不登校の状況を考えてみると。

更新日:2022年12月7日

 「人生は苦である」

というのは、仏教の考え方です。お釈迦様が悟りを開き、その悟りを説いた教えが仏教ですが、お釈迦様はその教えの中で、その言葉を残しています。


 「どうして人生は苦なのか」と思われるでしょうが、コロナウィルスが広がってきたこの数年でしたら、「そうかもしれない」と賛同される方もいらっしゃるでしょう。生きていて、何が起こるか分からないのが人生です。楽しいことも起きますが、予想もしなかった苦しいことが起こるのが、人生の常です。


 仏教では、人生の苦しみを「四苦八苦」として分類しています。


 四苦は「生老病死」の四つの苦しみです。

生:生まれたきたことの苦しみ

老:老いる苦しみ

病:病気にかかる苦しみ

死:死ぬ苦しみ

となり、この「四苦」から逃れることのできる人はいません。


 その「四苦」に、さらに四つの苦しみを加えたのが、「八苦」です。

怨憎会苦:嫌いな人と出会う苦しみ

愛別離苦:愛している人と離れる苦しみ

求不得苦:求めているものが得られない苦しみ

五陰盛苦:肉体煩悩が燃え盛る苦しみ


 この八苦も、逃れることは難しいでしょう。


 こうした苦しみを説いている仏教は、厭世的な教えかというと、そうではありません。仏教に対する解釈の違いもあり、そのすべてをこのブログで紹介することはできませんが、私が理解している内容としては、そうした苦しみが起きるのは、私たちの仏性を磨くためであるということです。苦しみが起きたら、人はそれを解決しようとします。その過程で、悟りに至るための智慧(ちえ)が出て、仏性が磨かれます。


 例えば、誰かに侮辱されたり、傷つけられたりして、苦しい気持ちになっているとします。先ほどの「四苦八苦」での、「怨憎会苦」の苦しみです。その苦しみを解消するには、いろいろな方法があるでしょうが、その中に「許す」という方法もあります。自分を侮辱したり、傷つけたりした相手であるけれども、「許す」ことで苦しみはなくなっていきます。


 また、苦しみがなくなるだけではなく、「許す」という精神性を持つことになります。それは大きな心であり、より心の容量が大きくなったわけで、それが「智慧」を得たことになります。


 私は仏性を、「心」と理解しています。仏性というと、難しく聞こえるでしょうが、もっと簡単に表現すると、心であり、心を磨くために、苦しみを含めた様々なことが起こるのが、この世界の常であるということになります。人生において、苦しみなど起きなければ楽でしょうが、おそらく智慧を得る機会も失われてしまうのでしょう。


 そのように考えますと、不登校の状況という苦しみが起こる状況は、苦しみは苦しみなのですが、何らかの智慧を得られる状況ととらえることも可能です。どのような智慧を得ることができるかは、人それぞれでしょう。わが子の不登校を受け入れて、より大きな包容力を持つことになった人もいたら、わが子のことを待つことができるという忍耐力を得られた人もいます。不登校の状況に伴う苦しみを、いかに乗り越えるかで、得られる智慧の形は変わってきます。







 

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