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不登校ブログその717.不登校の状況をよくしようと、努力してきたこと、苦労してきたことは、無駄にはなりません。

 不登校のわが子に、何とかこの苦しい状況から脱出してもらいたいと、親御さん、特にお母様は、子供に一生懸命接するでしょう。その間、状況がなかなか変わらず、将来に対して不安に感じたり、自分のしていることを無駄に感じたりすることも、あるのではないでしょうか。子供が、自らの心が不安定なために、マイナスの言葉を親にぶつけてくるような時は、空しい気持ちになることもあると思います。


 しかし、子供に対してなしたことは、決して無駄にはなりません。努力してきたこと、苦労してきたことは、決して無駄にはなりません。不登校の状況が変化するまで、時間はかかります。数カ月も、あるいは一年、二年とかかります。その間、毎日毎日、わが子に対してなしたことは、実を結ばないように思えますが、その毎日毎日の蓄積が必要なのです。


 例えていうと、小さな口のついた、大きな壺があって、そこに水を一滴一滴、ためていくようなものです。口が小さいため、壺の中は見えません。一滴一滴、水をためていっても、本当にたまっているかどうかは分かりません。


 それでも続けていくと、気づいたら水で壺はいっぱいになります。「見えなかったけれども、少しずつたまっていたんだ」と気づく時が来ます。まずそういう意味で、無駄ではないと思います。


 そして、もう一つ、無駄ではないという考え方があります。それは、他人に対してなしたことは、心に刻み込まれ、それが心に蓄積されていく、という考え方です。目には見えませんが、他人に対してなしたことは、心に刻み込まれます。


 他人に対して「幸福になってほしい」という思いでなしたことは、それが心に刻み込まれます。そして、他人の幸福を願う心が強い人になっていきます。それとは逆に、他人を不幸にしたいと考えてなしたことも、やはり心に刻み込まれます。そして、他人の不幸を願う人になっていきます。


 不登校のわが子のために、努力してきた愛の思いもまた、心に刻み込まれて、愛の強い人になっていきます。やはり無駄にはならないと思うのです。



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