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不登校カウンセリングブログその1025.失敗や挫折を「苦しみの種」と受け止めるか、「次なる成功の種」と受け止めるかで人生はまったく変わってきます―失敗や挫折をきっかけとして不登校になっている子供たちに

更新日:2022年11月5日


 不登校のきっかけとして、何らかの失敗や挫折に直面したことというものがあります。よくわかる話です。若い時は感性が豊かです。本格的な失敗や挫折の経験もありません。当然、どうやってそういう経験を乗り越えればいいかという智慧もありません。まだまだこれから人生の経験を重ね、智慧をつけていく前の段階の子供たちが、失敗や挫折の経験をきっかけとして、不登校になるのは理解できます。


 そういう失敗や挫折の中には、子供自身はまったく原因がないのに、起こったものもあるでしょう。失敗というよりも、挫折という範囲に含まれるのかもしれませんが、ひどいいじめを受けて、不登校になったようなこともあります。


 そういうことも含めて記事を書いていくのは心苦しいのですが、失敗や挫折を「苦しみの種」ととらえるか、それとも「次なる成功の種」ととらえるかで、人生は大きく変わると思うのです。


 失敗や挫折をしたいと願っている人は、おそらく誰もいないでしょう。また、そうした経験をすることで、苦しみや不幸感覚を持つでしょう。


 ただ、失敗や挫折を、「苦しみの種」ととらえると、以降の人生を幸福にしにくいのです。そういう経験をして、「これは苦しみでしかない」ととらえると、大きく二つの感情が出てくるでしょう。それは、「自分はダメだ」という自己否定感と、「これから先、希望はない」という絶望感です。


 このような思いを抱いてしまうと、先に進むことができません。努力して、その状況から出られると思えませんので、努力する気になれないです。自分はダメだと思い込んでいるので、努力する気力がわいてこないでしょう。


 しかし、失敗や挫折を、「次なる成功の種」ととらえるとどうでしょうか。失敗や挫折をした結果、それまで以上に成功できる可能性があると考えることができるならば、それ以降の人生で成功することができます。


 そんなことはあり得ないと、一般的には考えると思います。ただ、失敗や挫折をきっかけにして、それまでの自分にはなかったものを得ることができます。その結果、成功する可能性が高くなると、私は考えています。


 失敗や挫折をするということは、自分に欠けているものがある、あるいは変えるべきものがあるということです。例えば、一生懸命勉強したけれども、志望校に届かなかったという形で挫折したとしましょう。しばらくは落ち込むでしょうが、そこから立ち直り、「なぜ志望校に届かなかったのか」と冷静に自分を見つめることで、勉強時間が足りなかったことや、自分の学力に対する認識が不十分だったことが分かります。


 その結果、もっと勉強時間を増やそうとか、自分の学力を客観的にとらえようとか、それまでの自分にはなかったものを得ることになります。そうすることで、次の受験の機会では結果を出せる可能性が高くなります。


 では、先ほど挙げた、ひどいいじめのように、当人に原因がない失敗や挫折が起きた場合は、どう考えればいのでしょうか。このような場合は、何か自分に欠けているものがあるとか、変えるべきものがあるというよりも、耐える力や許す力などを新しいものを身につけるきっかけだととらえることで、それ以降の人生を素晴らしいものにすることが可能です。


 私は、いじめを正当化しているわけではありません。そのようなものは起きない方がいいに決まっています。ただ、起きてしまったとして、そういう境遇を嘆くばかりではなく、そこにも、以降の人生を素晴らしいものにするきっかけに変えることは、不可能ではないと考えているのです。


 結局、生きていて失敗や挫折とは無縁ではいられません。何らかの失敗や挫折は起きるのが人生であるならば、それらを次なる成功の種ととらえた方が、より幸福になり、より成功する可能性が高くなると思うのです。




 

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