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不登校カウンセリングブログ1069.努力をすれば、結果が出なくとも人として輝きます―努力することにあきらめを感じている不登校の子供たちへ―

更新日:2022年10月23日

 


 1990年頃から日本は経済成長が止まり、そのためでしょうか、「努力しても変わりっこない」というような風潮が強くなってきたように感じます。それ以前は、努力していけば結果が出る、ということが信じられていたと思うのです。ただ、いわゆる「バブル経済」がはじけて、経済成長が止まってからは、就職氷河期など個人ではどうにもならない社会の状態となって、努力してもどうにもならないというように考える人が増えているのでしょう。


 不登校の状況にある子供の中にも、そのように考えている子は結構いるのではないでしょうか。「自分はダメだ」という自己否定感や、将来への絶望感などが、「努力しても無意味だ、ダメなんだ」というあきらめの気持ちを強めてしまうのでしょう。


 高度経済成長のように、社会全体が上向いている時は、確かに個人の努力が結果に結びつきやすくなるでしょう。例えば、何か個人で商売をするような場合、社会全体が景気がいいので、その商売がうまくいく可能性は高くなります。商売を軌道に乗せようという努力は、実を結びやすくなるでしょう。それとは逆に、今のように景気が悪い社会の中では、商売をしても軌道に乗りにくいので、努力が結果になかなかつながりにくいのは事実です。


 しかし、結果にすぐに結びつかないものではあったとしても、努力することによって人間として輝きを増すと、私は考えています。


 勉強で努力する、スポーツで努力する、部活動で努力するなどのように、何かで努力していけば、実力は間違いなく高まっていきます。能力には個人差もあり、向き不向きも確かにあるので、思ったように努力した結果の実力がつかなかったということはあるかもしれません。それでも、まったく努力しなかった状態に比べて、実力は間違いなくついていきます。


 「努力しても実を結ばなかった」という場合、それは必要な水準まで、限られた時間では届かなかった、ということです。例えば、「勉強しても志望校に合格できなかった」ということは、受験までの時間では志望校合格に必要な学力がつかなかった、ということです。ただ、合格レベルには達しなかったものの、学力は間違いなく高まっているはずです。


 その高まった実力は、その時点では合格レベルには達しなかったものの、後々何かに活きてきます。先の、受験勉強の例では、第二志望や第三志望の学校にしか行けなくとも、その学校で確実に、高い学力を持つことになるでしょう。


 そのような、努力したことによる実力だけではなく、努力したという行為自体に付随する、人間の「輝き」のようなものもあります。そういう輝きも、努力した結果、得られるものだと思うのです。


 「刻苦勉励」という言葉は、もうほとんど死語になっているでしょう。そのように刻苦勉励していくことには、やはり耐えたり、我慢したり、弱い方向に流れがちな自分を律したり、そういうことが必要です。目の前には楽しいことがあるにも関わらず、自分の時間とエネルギーをやるべき努力に向けて集中していくことは、簡単なことではありません。簡単なことではないからこそ、その努力を続けていく過程で、人としての輝きが増していくのではないでしょうか。


 自分を律して努力してきた人間特有の、輝きというか魅力、そういうものが身についていくことで、他人の目にもやはり、魅力的に見えます。「何か分からないけれども、何か努力してきた人間だな」ということが分かります。


 道が開けていくには、その人の実力だけではなく、周囲の人がその人を引き立て、力を貸してくれることが必要です。そしてやはり、周囲の人から見て輝きを放っていることが、そのための条件でしょう。結果がなかなか出ず、それでも自分にやれることを努力し続けていき、輝きを放っている人は、周囲の人が放っておかないのです。その人の道を開いてくれるものです。


 生きていて、「あんなに一生懸命、努力したのに、何の結果にもならなかった」ということはしばしばあります。不登校の子供の中には、そういう経験をしている子もいるでしょう。そんな時は確かに、努力することをやめてしまいたくなります。何もかもが嫌になることもあります。それでも、「努力したことは決して無駄にはならない」と信じて、また歩み続けることが最終的な結果を手にするコツだと思うのです。







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