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不登校カウンセリングブログその1140.「自分はダメだ」という不登校の子に伝えたい、人間の価値と評価。

更新日:2022年10月22日

 


 今回のブログのテーマは、正直なところ、本にすると数冊、あるいはそれ以上の分量になるでしょう。それでも語りつくせないテーマでしょう。また、人によって考え方が異なる内容であり、この記事に対して、「そうは思わない」という人も多いと思います。そうしたことを踏まえたうえで、ブログを書いていきたいと思います。


 「自分はダメだ」という不登校の子供。不登校になるまでに「自分はダメだ」と感じさせることがあって、そのように考えてしまっているのです。あるいは、そういうことがなくとも、思春期でいろいろ考えていく過程で、そう考えてしまっていることもあります。


 このように、「自分はダメだ」と考えてしまっている不登校の子供には、「人間の価値とは何か。そしてその価値と評価の違いは何か」について伝えると、その自己否定感を軽くすることができるかもしれません。


 私は、人間の価値とは、「ダイヤの原石」のようなものだと考えています。磨けば輝く、ダイヤの原石です。人間の場合の「磨く」という行為は、さまざまです。運動する、考える、勉強する、仕事をする、人とぶつかったり愛し合ったりする、傷ついたり喜んだりする、こうしたさまざまな経験を重ねていくうちに、人間として「練れていく」ことが、磨くという行為などだと考えています。


 もちろん、すべての経験が「磨く」行為になるわけではないでしょう。人を傷つけたり、盗んだりするような犯罪行為などは「磨く」というよりも、「曇らせる」行為になります。


 「自分はダメだ」と不登校の子供が考えている場合、自分を石っころだととらえてしまっているのでしょう。自分をそのあたりに転がっている石だとみなしていて、無価値な存在だと考えてしまっているのです。


 そういうことはなくて、人間はみな、磨けば輝く「ダイヤの原石」です。どういうふうに輝くかは、もとの原石の形や、磨き方にもよるでしょう。考えることに長けた原石もあれば、体を動かすことに長けた原石もあります。その原石をどれだけの期間、磨いたかで、放つ輝きも違ってきます。ただ、磨けば輝くのは間違いありません。


 もし、本当に自分が石っころなら、いくら磨いても磨いても、絶対に輝かないです。禅の言葉に、「瓦を磨いて鏡となす」というものがあります。唐代のある和尚が、座禅を熱心にやっている弟子に、「何のために座禅しているのか」と聞くと、弟子は「仏になるためです」と答えました。


 その答えを聞いた和尚は、そばに落ちていた瓦をとると、ごしごしと磨き始めました。その姿を見て今度は弟子が、「いったい何をなさっているのですか」と聞くと、「瓦を磨いて鏡にするためだ」と和尚は答えました。


 弟子は、「瓦を磨いても鏡にはならないでしょう」とあきれると、和尚は「それならお前は、座禅をして仏になれるのか」と答えました。和尚は、仏になるためという己の欲のために座禅をすることをいさめた、という話です。


 「瓦を磨いても鏡にならない」という話は、修行する人間に対する、修行の心構えを語った内容ですが、人間はみな輝く鏡になりえるから、人間はみな瓦ではないというふうに、私は解釈しています。


 一方、他人や社会からの評価はどういうものであるかというと、それは輝きの量でしょう。一生懸命に生きて、輝きを強く放つ人と、そうではない人、比較すればどうしても評価の違いは出てきます。仕事ができる人とそうでない人、運動が得意な人とそうでない人、人柄がいい人とそうでない人、それぞれの評価は異なってきます。そして、前者ほど、評価は高くなります。仕事ができる人は出世が早くなり、給与も高くなるでしょう。仕事ができない人は、その逆になります。


 そして、その評価自体、間違ったものではありません。頑張って結果を出した人も、そうでない人も、同じように扱ったら、頑張って結果を出そうという人はいなくなります。その結果、社会は発展せず衰退します。公平な評価は必要であり、正しいことです。


 ただ、それは輝きに対してのものであり、輝いていないからといって、存在自体を否定することにはなりません。例えば、仕事ができない人であれば、仕事ができないということへの評価であって、その人の存在に対する評価ではないということです。


 「自分はダメだ」と落ち込んでいる場合、これをごっちゃにしていることがあります。輝きが小さい状況や輝いていない状況に対する評価を「自分の価値」だと考えてしまっているのです。世間の人がどのような評価を下そうと、それは輝くに対するものであり、ダイヤの原石であるという事実を損ねるものではありません。


 不登校の子供が、非常に落ち込んでいて、「自分はダメだ」と思い込んでしまっている時は、そのあたりの違いを話したとしても、なかなか受け入れてはくれないでしょう。ただ、そこは根気強く伝えていって、自分は価値ある存在であることを信じてもらえれば、不登校の状況から脱出する可能性も高まっていきます。






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